5.142014
本当に「人生は修行の場」なの!?
「人生は修行の場だ」という考え方がありますよね。
苦しいこと、辛いことを乗り越えて、我慢してがんばっていくことで、魂が磨かれる。というような考え方です。
そんな風に言われたこと、考えたこと、みなさんもあると思います。
僕自身も、そんな風に思っていた時期がありました。
たしかに、僕たちは生きて行く中で、いろんなことに気づいたり、たくさんのことを身につけていきます。
人生の中で、たくさん体験をするうちに、人間的に成長していきます。
だから僕も、人生の中には修行的な要素もあるって思っていました。
でも、そう考えていた僕には、たくさんの「○○ねばならない!」というのができました。
「△△してはいけない。」
「□□できない自分はダメだ。」
いろんな制限を自分に加えて、その厳しいルールを守れない自分を責めました。
でも、本当の修行というのは、そういった、“ルールを守る”ということではありませんでした。
本当の修行は、『ルールをいかに無くしていくのか』っていうことのようです。
自分を縛りつけているルールを手放していく、もっともっと自分の思考を自由にして、狭くコリ固まった概念を手放していく。
それが修行だったんです!
「ねばならない」
「してはダメだ」
こんなルールをを手放していく。
「ねばならない」→「どっちでもいい」
「してはダメだ」→「してもしなくても好きにしたらいい」
って、自分をもっと自由にしていくこと、それが修行だったんです。
でも、『人生は修行の場』とか言われると、そんな風には思わないですよね。
“修行”という響きは、なんか高く険しい山に必死で登るようなイメージ。
大変で、気が抜けなくて、努力と根性、気合でむかっていくような感じ。
一直線にひたすら突っ走るような感じがします。
でも、ルールを手放していくというのは、まったく逆のイメージです。
より楽で、ゆるんでて、自由。
一直線ではなくって、四方八方に大きく広がっていくって感じです。
「人生は修行の場」というより、
「人生は遊び場」っていった方がいいんじゃないかな(^O^)
たしかに、修行というか、“自分を律する”ということは、とっても大事なことです。
ですが、自分を律することが、自分を否定することにならなくていいはずです。
たとえ、自分を律すると決めたとしても、それができない時があってもいい!
そんなことで自分を責める必要は、まったくありません!!!
これからは、人生は遊び場だと思って、どんどん自分を広げていきましょう!
ルールを一つ一つとっぱらって、どんどん自由になりましょう!
僕たちは今まで、たくさんの「ねばならない」という名のブランドの服を身につけて自分を着飾っていました。
みんなに良く見られるように、みんなに気に入られるように。
でもこれからは、新しい遊びのはじまりはじまり~♪
たくさん着て、着ぶくれした洋服を、一枚一枚脱いでいきましょう!
ポイ!ポイ!ポイ!って、全部脱ぎ捨てちゃおう!
ちょうど季節も、暑くなってくるしね(^^)
全部脱いで、ハダカになって、人生を遊ぼう!!
脱げば脱ぐほど、内側にある本当の光が見えてくるよ(^O^)
「ねばならない」→「どっちでもいい」
「してはダメだ」→「してもしなくても好きにしたらいい」
に変換してね。
もちろん頑張りたいことがあるなら頑張ってもいい。
我慢したければ、我慢してもいい。
許したければ許せばいいし、
ゆるせなければ、ゆるさなくていい。
ようは、自分の心が喜ぶことを選ぶというのがポイントです。
何の制限もなくね♪
僕自身、たくさんのルールで自分を縛ってきました。
何十年も、たくさん着込んだまま生きてきました。
だから今でも、ほっておくと「ネバならない」って知らないうちに考えてることがあります。
でも、それで傷ついてたら、今度は
「“ネバならない”と考えてはならない!!」
というルールに縛られてることになっちゃいます(^^;ゞ
だから、気楽にやってイキましょう!
ちょっとずつ気づいていけばいいですからね。
一緒に楽しんで、もっとハダカになりましょう!
もっともっと、自分を愛しちゃいましょう!
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