ブログ

吾唯足知(われただたるをしる) ちょっと違った解釈

吾唯足知(われただたるをしる)の意味

「吾れ唯だ足るを知る」って言葉、ご存知ですか?

京都の龍安寺のつくばいには、「吾唯足知」の4文字が↓のような感じで刻まれているそうです。

 

 

   吾
知  口  唯
   足

各漢字の口の部分を一つにしてデザインされています。

上の文字から右回りに読んでいくんですね。

最初見たときは何て読むのかわかんなかったです(^^ゞ

 

この「われ、ただ足るを知る」という言葉、みなさんはどんな風な意味だとおもいますか?

多くの人は、「贅沢を考えずに、不平不満を持たずに、今あるもので十分ということを知りなさい。」

みたいな、清貧の思想的な意味に思われているんじゃないかな?

 

もちろん、そんな意味もあるだろうし、その考え方が本道なのかもしれません。

でも、僕はその考え方に、ちょっと違和感があるんです。

 

「自分が満ち足りていることを知っている人」が、

「われ、ただ足るを知る」

と言っているってことは、

実は、贅沢できる分も余裕であるんじゃないのかな?

  

宇宙には無限の豊かさがある!

吾唯足知は、「私には、いつでもどこでも、必要なものがすべてそろっている」って言ってるんだと思うんです。

で、そこにどれぐらいの量があるのかは関係ない。

 

他の人が見たら、「足りない」とおもう量であっても、 逆に「多すぎる」とおもう量であっても、

量の多少とは関係なく、ただ「満ち足りている」ということ。

「必要なものがすべて、すでにある」ということ。

そう考えると、この「吾唯足知」という4文字は、宇宙全体の大きな豊かさをあらわしている言葉のようにも思えますね。

 

なんか、「贅沢を夢見ないで、充分あるんだと思って、貧しくても工夫していこう」って感じじゃなくて、

「無限に満ち足りた宇宙の流れの中では、足りないとか無くなるなんてことはありえない!」って言ってくれいるように感じます。

 

宇宙を見上げて、のびのびと両手を大きく広げて、「われ! ただ! 足るを知る!!」って宣言しているような。
ちょっと爽快な感じ。

「吾れ唯だ足るを知る」

どういう意味を込めて作られた言葉か、本当のところは知りませんが、

僕はこんなふうに、宇宙と一緒に、爽快に生きたいなぁと思います(^O^)

みなさんはいかがですか?

 

ちなみに、ラブピュアセルフプログラムの中で、すこしだけご紹介する「カバラ」の中にも、同じような教えがあります。

ピュアセルフプログラムの中では、カバラの教えを使って、

僕たちがどれだけ豊かな存在であるのか、 どんなに素晴らしい存在であるのか、 どうしてそんなにも素晴らしい存在なのか

をお伝えします。

 

あなたには無限の可能性があり、その可能性を現実にしていくのに必要なものは、あなたの中に十分にあります!

 

もりも

  • このエントリーをfacebookでシェア
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

コメント

    • 『縮約(縮退)自然数』
    • 2019年 6月 13日

     ≪…「無限に満ち足りた宇宙の流れの中では、足りないとか無くなるなんてことはありえない!」…≫との事を 
     [吾・唯・足・知]と[□・○]に[西洋数学の成果の6つのシェーマ(符号)]を双対させると数学妖怪キャラクターとしての『(わけのわかる ちゃん)(まとめ ちゃん) (わけのわからん ちゃん)(かど ちゃん)(ぐるぐる ちゃん)(つながり ちゃん)』で[ながしかく(『自然比矩形』)の[お導き]が、≪「…満ち足りた宇宙の流れ…」]を表現(意味)していると観る。
     [満足]との《数学概念》は、
       [1]:[0.2817…](3-e)  や [1]:[0.3678…](1/e)
        と観える。
     [動的](時間的)な対象への[満足度]は、
      [0.71828…](e-2) + [0.2817…](3-e)=1
      との[遊び](到達できない数値)を持つ[満足度]の[1]と観る。
     [静的](対象で完結)での[満足度]は
      [0.6321…](1-1/e) + [0.3678…](1/e)=1 
     との[遊び](到達できない自己増殖限界値)を持つ[満足度]の[1]と観る。
     いずれにしても[満足度]の[1]は、欠乏(エネルギー)あるが故の[満足]を観る。

     【数そのモノ】からの吾唯足知の眺めです。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

最近のメッセージ

ページ上部へ戻る