8.12016
「ガンなんです!」「だから?」 深刻な問題に立ち向かう勇気を与えてくれるのは、「怒り」ではなく「愛」
あなたは、誰かに 「私、ガンなんです!医者に余命1ヶ月と言われました。」 と言われたら、どう答えますか?
僕だったら、言葉に詰まってしまってオロオロ。とっさには何も言えないと思います。
ましてや初対面の人に向かって、「だから? ガハハハハ」と笑って通りすぎるなんて、もってのほか、 逆恨みされるんじゃないかとビビってしまいます(~_~;)
ところが、実際に「だから? ガハハハハ」と言ってのけて、その言葉でガンの方を元気づけたかたがいます。
…
あるドイツ人が、医者からガン宣告を受けました。末期のガンで余命3か月。 彼はうなだれ、全ての希望をなくしてしまいました。
しばらく沈んでいたのですが、ある日、 インドのある場所に、重い身体をひきずって、一人出かけていったそうです。
彼はその場所で、ある人が来るのをずっと待ち続けました。
その方とは、「ダライラマ14世」 チベット密教のトップ。チベット人の精神的指導者です。
そのドイツ人は、ダライラマを熱烈に崇拝していました。
そして、どうせ死ぬなら最後にダライラマ猊下にお会いしてから死にたいと、 はるばるドイツからインドのダラムサラにまで来たのでした。
もしかしたら何かの力で、病気が治るかもしれないとも考えていたのかもしれません。
ところが、ダライラマ法王は、しょっちゅう外国に出かけていて、なかなかダラムサラには帰ってきません。
1カ月待っても、2カ月待っても会えませんでした。
そして、2カ月すぎ、すっかり憔悴しきったある日、とうとうダライラマに会うことができたそうです。
彼は横を通り過ぎようとするダライラマに声をかけ、
「私、ガンなんです!医者に余命1ヶ月と言われました。」
と告げました。
すると、ダライラマは彼に向き直り、あの優しい笑顔で言いました。
「だから? ガハハハハ!」
ダライラマは、彼の肩をポンとたたいて、去って行ったのだそうです。
2か月も待ってたのに、この一言だけ? 普通ならガッカリするところなのかもしれません。
ですがドイツ人の彼は、その言葉を受けて、妙に体が楽になったのを感じました。
「そうだよな。嘆いていてもしょうがない。 残りの人生を精一杯生きよう!」
そう思い、力強い足取りで、ドイツに帰っていったそうです。
実はこの話、どこの誰から聞いたのか、どっかの本で読んだのか、まったく覚えていません(^^ゞ 実話かどうかもわかりません。
ですが、妙に僕の心に残っていて、忘れられない話です。
「だから? ガハハハハ」という言葉は、余命1カ月という大変な状況の方に対して、とても失礼なように思います。
ですがダライラマに、あの笑顔とあたたかいオーラで言われると、 なにか大きな愛に包まれたような感じがして、 あと1カ月の命だという事さえ、とても小っぽけなもののように感じたのではないかなぁ。と思います。
背景にあるのは、ダライラマ自身がたどってきた過酷な境遇。 そしてそれを乗り越えてきた信念です。
チベット民族の抱える深い絶望、 それは怒り狂って、正気を失うほどのものです。
チベットとなんのゆかりもない僕でさえ、チベットの現実を知ると、吐き気がします。
僕は、業田良家のチベット漫画「慈悲と修羅」や、小林よしのり「ゴーマニズム宣言 見ぬふりされてるチベットでの民族浄化」https://www.geocities.jp/my_souko/index.htm を読んで、初めてチベットでどのような事が行われているか知りました。 (かなりヘビーなので気をつけてみてください。)
この民族浄化を知って、とても激しい怒りがわきました。
また同時に、大きな恐怖も湧きあがりました。
自分があんなにひどい拷問にあったらと考えただけで、怖くて逃げだしたくなります。
さらに、これほどまでに悲惨な現状を知っているのに、相変わらず「慈悲の心を持て」とか、ぬるいことを言っているダライラマにさえ、腹が立ちました。
何が慈悲だ!
何が平和だ!
でもしばらくして、気づきました。
このダライラマへの怒りは、
「安全な場所にいて、ただマンガを読んだだけでチベットの現実を知ったつもりになり、 実際にそこにいたら恐怖でなにもできないくせに、中国の行動に腹を立てている自分」
を見ないようにするために、責任をダライラマに押し付けているだけでした。
ダライラマはある講演会で、「怒ることで気は晴れるかもしれませんが、あなたが怒ることで周りの人々を苦しめる。」というようなことを言っています。
僕がイライラしているときの家族の反応を見ても、本当にそう思います(~_~;)
ダライラマはまた、著書『ダライラマの仏教入門』で、次のように言っています。
「私は、幸福の源泉は良い心、すなわち、他者に対する同情心、言い換えれば「愛」を養うことにあると主張しています。
もしもこのような精神の状態を得ることができれば、私たちは敵意に囲まれている場合にすら、精神を乱されることはないでしょう。
もしも私たちが静かで落ちついた状態にあるならば、深刻な問題に直面した場合にも、敢然とそれに立ち向かうことができることでしょう」
深刻な問題に立ち向かう勇気を与えてくれるのは、「怒り」ではなく「愛」であるという事です。
ダライラマは、深い怒りと悲しみを乗り越え、大きな敵意に立ち向かう手段として、「愛」と「慈悲」を選びました。
そして、みんながその心を持てるように、世界中で自分の信念を持って伝え続けています。
絶望を知り、そこから強い信念を持って立ち上がった人の言葉は、たった一言であっても、とても深く心に残ります。
命からがら亡命し、今もいつも命を狙われているような状況の中、 たくさんの、自分を慕うチベット人僧侶たちが、祖国のチベットで拷問を受けたり焼身自殺をはかる中、
それでも慈悲の心の大切さを説き、信じ、どんな人々にもあたたかい眼差しを向ける。
そんなダライラマ法王からの言葉だと思うと、本当に自分の悩みがちっぽけなものに感じてきます。
そして、ドイツ人の彼と同じように、自分の悩みなんて「ガハハ」と笑い飛ばして、また頑張っていこう! そう思えてきます。
あなたも、何か問題があるとき、とても切羽詰まった悩みがるとき、このドイツ人とダライラマの話を思い出してみてください。
そして、自分がダライラマになったつもりで、嘆いている自分に向かって、 「だから? ガハハハハ!」と笑ってあげてください。
そして嘆く自分を優しく抱きしめてあげてください。
きっと前向きに、生きる力が湧いてきますよ(^O^)/
もりも
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