4.62017
ハートをオープンにしている状態というのはどういう状態?
先日、こんな質問メールをいただきました。
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(略)
最近ハートをオープンにするということについて考えています。
これはとても大事なことだと思います。
でもハートをオープンにしている状態というのはどういう物を言うんでしょう?
あるスピリチャルの人が
ハグされてもなんの反応もなく、腕をだらんとしてる人はハートがクローズだ
オープンになりにくい
とか言っているのを聞いたことがありますが
ハートがオープンになったらみんな同じような人になるのですか?
誰とでも話す話好きで
ハグ大好きーって?
みんなハートがオープンになったら一人でいたいとか、思う人はいなくなる?
もりもさんは前にシャンバラギャザリングやっていらっしゃいましたね。
私も一度参加しました。
その時近くの人とハグしましょうというのがあって、私は気まずくて誰ともしませんでした。
みんな笑いながらハグしていましたが、
その時知らない人とハグする気分ではありませんでした。
私のハートは閉じてる?
(略 家によく来る女の子が、)わからないと思って私や娘のものを勝手に使ったりするんですよね。
そういうの私は嫌だな~って思うのですが、知らないふりしています。
嫌だなと思う自分が心が狭くて嫌だなとか思ったり
ハートがオープンだったらそう思わないの?
これから地球は愛にあふれたところになる。
それなら自分のものとかそういう観念がなくなっていくはず。
自分のものという思いがある私はアセンション失格者?
なんだかわからなくなって、自分に自信が持てません。
ハートをオープンにするというのは
どういうことなんでしょうか?
そういうことを嫌だと思う私はおかしいのでしょうか?
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僕は、ハートをオープンにしている状態というのは、
いろんなことにOKをだしている状態だと思っています。
でも、よく勘違いされるところだと思うんですが、
なによりもまず、
“自分自身にOKを出していること”
が、一番大切です!!
誰にでもハグをするとか、誰かの事を嫌だと思わないとか、
そういう、誰か他の人が絡んでくる部分は、
ハートを開いているかどうかの本質ではありません。
「気分がのらないからハグをしない。」
「誰かの事や誰かの行為が嫌だ。」
って思っている、自分自身、
その自分自身の想いや行動にOKがだせていたら、
ハートが開いているってことだと思います。
「誰とでもハグできない自分なんてダメだ。」とか、
「誰かのことを許せない自分なんてダメだ。」
というのは、他の誰かを認める前に、
自分自身の気持ちや想い、感情のことを認めてあげられていない
っていう状態なんですよね。
そういう状態は、僕の考えでは、
「ハートが閉じている」
と言うことになると思います。
昔、入れ歯のCMで、無邪気な子どもがおじいちゃんに抱っこされたときに、
「おじいちゃん、おくち臭ーい!!」
と言って、超嫌がるCMがあったと思うんですが、
知ってますかね? 古すぎ? (^^ゞ
まぁ、そんな場面を想像してもらえればいいんですが、
子どもはおじいちゃんの口が臭くって、抱きつかれたりするのが嫌なわけですが、
それをみても、
「あー、この子どもは、おじいちゃんの口臭を受け入れていない。ハートが開いてないな!」
なんて、思わないですよね?
またこの子どもも、「口が臭くて嫌だ! キモイ!」って思ってる自分のことを、
「そんな風に思っちゃう私は、なんてダメなんだろう。」
っなんて、思ってないですよね、きっと。
ただ、
「口が臭い」っていう事実を指摘した、
「口が臭いのは嫌だ」という気持ちを表現した、
というだけです。
でもきっと、その子どもはおじいちゃんの事は好きだと思いますし、
嫌という気持ちを現したことに、罪悪感とかは一切ないと思います。
つまり、ハートが開いているかどうかでいえば、
「開いている」と思います。
だから、ハートが開いているかどうかと、
他人に対する自分の行動や、湧いてくる感情とは、
本質的にはあんまり関係ないです。
そういう自分、そんな自分に対する感情が、否定的なこと、
OKをだせない所が、関係する部分ですね。
わかりにくいですかね?
>これから地球は愛にあふれたところになる。
>それなら自分のものとかそういう観念がなくなっていくはず。
>自分のものという思いがある私はアセンション失格者?
>そういうことを嫌だと思う私はおかしいのでしょうか?
どんどん地球が進化していくと、
いろんな社会システムが変わっていって、
所有という概念もなくなっていくのかもしれません。
でもきっと、それはまだまだ先の話です。
僕にも所有欲はいっぱいあります。
誰かに自分のものを勝手に使われたら、嫌です。
だから僕ならきっと、見て見ぬふりはしないで言います。
僕らは怒りたいときに怒っていいし、
泣きたいときに泣いていいし、
笑いたいときに笑ったらいいんです。
怒りたいのに我慢したり、
泣きたいのに我慢したり、
笑いたいのに我慢したりして、
そんなふうに感情をころして生きている世界が、
アセンションした、進化した地球だと思いますか?
そんな世界に行きたいですか?
聖人君主みたいな、立派風な人たちばっかりの世界なんて、
ぜんぜん魅力的じゃない!!
もしアセンションが、そういう世界に行くんだっていうことだったら、
僕は行きません(^^)
僕らが思うアセンションした世界は、
無条件の愛のなかで、安心して、純粋に自分を楽しんでいるような世界です。
そういった世界では、怒りとか悲しみとかは、あんまり感じないかもしれませんが、
もし感じたとしても、それを止める必要なんてなくって、
感じたら感じたまんま、素直に表現してもいいし、
そんな自分を、誰もとがめないし、
自分自身も、そんな自分がOKで、安心しているような、
そんな世界です。
私たちのサロンは「Sparkle」といいますが、
「Sparkle」って、「輝き」とか「輝け」みたいな意味でつけました。
みんなが宇宙の愛をたっぷり受けとって、
安心して、リラックスして、
いろんなことを宇宙にまかせちゃって、
それで自分自身の輝きを、解き放ってほしいなって、
自分を責める声に従うのをやめて、
もっともっと自分を愛して、ゆるして、認めて、
もっともっと自分に寄り添ってあげて、
それで自由に、自分の魂の輝きを解き放ってもらえたらなって、
そんな想いを込めています。
でも、これまで社会で身につけてきた、
自分を否定する概念や考え方って、
すっごい強力にこびりついているんです。
だからラブピュアセルフプログラムでは、
たくさんの新しい考え方をお伝えして、一度概念をぶっ壊して、
それから3か月かけて、新しい生き方を浸透させていきます。
その中で、感情や思考について、たくさんクリアーにしていきます。
そう、ちなみに、
ラブピュアセルフのなかでは、
「感情をなくした宇宙人」
という物語を、紙芝居でお話します。
「怒りや悲しみなどを無理やり取ってしまった宇宙人が、どうなっていったのか?」
というお話なんですが、
さて、どうなっていったんでしょうか? (^O^)
ん?
なんか話がそれた感じがしますが…(^^ゞ
もとにもどして…
もしアセンションした世界が、
怒りや悲しみや嫌な気持ちを、それほど感じないような社会だったとしても、
だからといって、“今” 感じている、
そういった気持ちを、無理やり抑えなくてはアセンションできないとか、
アセンション失格だとか、
そんなことは一切ありません!
むしろ、そういった気持ちに振り回されなくなるためには、
その気持ちを無理やり抑えるのではなくて、
そんな自分を否定するのではなくて、
その気持ちをしっかり感じてあげることが大切です。
その気持ちにしっかり寄り添って、
そんな自分にOKを出してあげることが大切なんです!!
だから、ぜひ、ハートを開いて、
そんな自分にOKをだしてあげてくださいね♪
もりも
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